2024年5月1日水曜日

教行信証信巻まで完成

 教行信証の再音読化が、信巻まで完成しました。

今日は word の音声読み上げが不調で、結構、手間取りました。

残る各巻を引き続き再音読化するかどうか、迷っています。

wordの調子が戻らない限り、これまでのやり方で作業するのは、ほぼ、不可能です。

昨日までは、wordで読み上げ原稿に手を入れると、即、読み上げできたのですが、こんばんは、なぜか、読み上げ開始に数秒から数十秒を要するのです。このタイムラグは致命的です。とても試行錯誤で抑揚を調節する気にはなれません。

もし、wordの音声読み上げの仕様変更などで、この状態が続くなら、作業はここで中止しなくちゃなりません。

ちょっとへこんでいます。

2024年4月29日月曜日

明日から5月/新しい目標/ubuntuのメジャーアップデート

明日から5月。風薫る季節で、一番好きな時。

リハビリの方は、5月から、四点杖での外歩きのプログラムが強化されることになった。リハビリ室での見守りも外れて自主歩行に切り替わる。こうやって成果がでると、俄然、元気が出ますね。次は、「~に会いに行こう!」プロジェクトを始動しなければ!

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教行信証の再整備は、信巻の途中、271頁まで来た。もうちょっとで信巻が完成する。ただし、今読んでいるところは、AI音声には発音が苦手かもしれない。調整にずいぶん手間取る。

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wslのubuntu を 23.10 から 24.04 にアップグレードした。apt upgradeで、一杯、エラーがでたが、なんとか、修復して動いている。

ただし、pip の挙動がおかしい。しょうがないから、python3を一旦削除して再インストールした。バージョンは、3.11.6から最新版の3.12.3になっている。

 まだ、不安なので、メインのデスクトップ の方は、もう少し 23.10 のまま様子を見ようと思う。

好きな人に会いに行く、いつになるか分からないけど、今度は、そこを目標に頑張ろう!

2024年4月25日木曜日

親鸞聖人の悲嘆・述懐

 真宗聖典の音読を再度整備し直しています。今日は、p251頁まで録音が進みました。Wordでの自動読み上げなので、もどかしさを感じつつ、教行信証だけでも、できるだけ、聞き取りやすくと願いながらやっています。

p251 本文と読み上げ
YouTube 「信巻」再生リスト

さて、251頁は、親鸞聖人の血を吐くような悲嘆述懐が綴られている大事な個所ですね。

「誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。」とあります。

ここを拝読すると、歎異抄第九章の次の箇所なども思い出されます。
 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。よろこぶべきこころをおさえて、よろこばせざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおおせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。

どちらも、親鸞聖人の赤裸々な心の声が聞こえてくるようです。

生きていくうえで、道を見失い、ひとりぼっちだと落ち込むとき、悲嘆述懐の御姿で立ち現れて、お前もつらいのかと声をかけてくださっているように思うのです。

2024年4月17日水曜日

win:「ターミナルで開く」だと古いバージョンのPowerShellが起動する

 PowerShellの新バージョン(V7)を手動でインストールしました。手順は、PowerShellを開くと出て来る下のアドレスにアクセスすると書いてあります。

https://aka.ms/pscore6

 これやってみましたが、新バージョンは、従来のものとは別のところにインストールされるんですよね、それで、一つ困ったことが起こっています。というのは、エクスプローラのフォルダ上で右クリックすると出て来るメニューに

「ターミナルで開く」

がありますが、ここで開くのは古いバージョンのPowerShellのままなんですね。どうせ新しいのを入れたのだから、古いのは使いたくないのですが、このコンテキストメニューから新バージョンを開くためには、レジストリの書き換えが必要とのこと。

HKEY_CLASSES_ROOT\Directory\shell\Powershell

の右ペインにある command の値を新バージョン用にしなくっちゃいけません。でも、あんまりここはいじりたくないよね……

ということで、対処療法です。

「ターミナルで開く」で PowerShellが起動したら、次のコマンドを実行します。

& 'C:\Program Files\PowerShell\7\pwsh.exe'

これで、カレントディレクトリは変わらずに、新しいPowerShellに切り替わるってわけです。

いちいち面倒ですけど、安全第一ということで。

2024年4月11日木曜日

AIは人権の時代

 「生成AIが使える」を売り文句にしているPCが出始めているようですね。(例:HPの法人向けノート)。

私の場合ですが、Bing(Copilot)とかをちょっと使っただけでも「すごい」となりました。実は今やっている音読化の作業は、必要に応じてBingにプログラムを書かせてから少し手直しして使っています。
VBA、PowerShell、bashスクリプト、html/css、javascript、python、awkやsedなどのコマンド、ffmpeg、imagemagick。全部、Bingと相談しています。
一から自分で書くとなると、マニュアルと首っ引きになるところですが、Bingが実に手際よくやってくれます。
AIを本格的に使うには、月々数千円の課金が必要になってますね。それが使えないと仕事にならない時代の到来ですね。この流れはもう昔には戻らないんでしょうね 。
 
ただ、出来上がった小さいプログラムたちの再利用や保守となると、厄介かもしれません。適切なコメントが付いてないですからね。変数じゃなく実際の値を埋め込んだり。
なるべく、AIに投げたプロンプトとAIからの応答をコメントにしてつけるようにはしていますが、ややもすれば、「動けばいい」という感じで粗製乱造になってしまいますね、こういうのが一杯増えて、あとから見直すrのがなかなか大変です。

2024年4月7日日曜日

桐壺 その五

 源氏物語の自動音読をすこしずつ進めています。今日は、桐壺の「その五」まで進みました。

ちょうど真ん中あたりです。WordのAI読み上げなので、声がちょっとアレですけども。

源氏物語 音声とテキスト

NHKラジオの古典講読が、今年一年源氏物語なので、放送を追いかけながらやっていきたいと思っています。ただ、作業にえらく時間を取られるので、追いつけないか、途中であきらめるか。

やれるとこまでやってみます。 

2024年4月4日木曜日

なんのためにこんなことをと思う今日この頃に

教行信証の音読化を進めています。聖典の読み上げ録音は、これが三回目です。一度目、二度目は、まだまだ、拙い感じがして、教行信証だけでもと思って、取り掛かっています。

今朝は、p199まで進みました。

1頁分のテキストを調整し、録音し、動画にしてYouTubeにアップロード。次に、ホームページの該当頁に再生用リンクを埋め込み、FTPでアップロード、という手順です。大分手際よくやれるようになりました。

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 でも、ふと、なんのためにこんなことをやっているんだろうと思います。

法然上人が賢しい「文沙汰」をお嫌いになったというお話が末燈抄にでてきますね。

(末燈抄より)故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、往生必定すべしとて笑ませたまいしをみまいらせ候いき。文沙汰して、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。 

こんな余計なことをして、法然上人が顔をしかめていらっしゃるかもしれません。

しかしまた、口伝抄には、こんな逸話が出てきます。

(口伝抄より) 本尊・聖教は、衆生利益の方便なれば、親鸞がむつびをすてて、他の門室にいるというとも、わたくしに自専すべからず。如来の教法は、総じて流通物なればなり。しかるに、親鸞が名字ののりたるを、法師にくければ袈裟さえの風情に、いといおもうによりて、たとい、かの聖教を山野にすつ、というとも、そのところの有情群類、かの聖教にすくわれて、ことごとくその益をうべし。しからば衆生利益の本懐、そのとき満足すべし。凡夫の執するところの財宝のごとくに、とりかえすという義、あるべからざるなり。よくよくこころうべし」とおおせありき。

親鸞聖人とたもとをわかちて去って行く門人があり、他の門人たちが、与えてあるお聖教を取り戻すように憤っていると、聖人がそれを許さなかったというお話です。

私自身、体を壊してから、お寺にお話を聞きに行くことができなくなりました。連絡をくれていた人たちも、間遠になって、独りぼっちがつくづく身に染みます。もう、何かを読むくらいしかできませんが、活字の本を読むのは困難です。真宗聖典の音読があればどんなにいいでしょう。そう思って、進めています。

この音読頁をネット上においておけば、いつか、どなたか、わたしと同じように、切実に必要としている人のもとに届くかもしれない。そう思って続けています。 親鸞聖人なら、わかってくださると信じてやっています。

 今朝見たら、 YouTubeのチャンネルj登録者数が一人増えて、七人になっていました。どんな人がぽちったくれんでしょう。励まされます。(といっても、そのうち二つは自分と母のアカウントですけどね)

教行信証信巻まで完成

 教行信証の再音読化が、信巻まで完成しました。 今日は word の音声読み上げが不調で、結構、手間取りました。 残る各巻を引き続き再音読化するかどうか、迷っています。 wordの調子が戻らない限り、これまでのやり方で作業するのは、ほぼ、不可能です。 昨日までは、wordで読み上...